遊泳

猫、或いはサイエンス

疎明

ある程度長めの文書を書く時の感覚、ようやく思い出してきました。
学生の頃から社会人になってしばらくくらいまでは毎日それなりに楽しんで書いていたけれど、Twitterの居心地があまりによすぎていつの間にか書かなく(書けなく?)なってしまったのです。
私の場合、ある程度のガス抜きできて、ほどよくレスポンスがあり、承認欲求が満たされてしまうと「書きたい」という衝動が失われていくようです。

現在試みているのは断片的にツイートしたことをblogでつなげていくという手法なのだけれど、ここの存在に気づかれていなければまあ理解されないだろうなと思いつつ、Twitterに放流しています。
書きたいテーマを思い出すためのトリガーとしてTwitterを利用しているともいえます。
このやり方は忘れっぽい私に合っているような気がするな。

今のところここまで読みに来てくれているひとはほとんど居ないようだし、積極的に宣伝する気も皆無なので秘密基地の気分で気楽に羽根を伸ばすことに致しましょう。

しかし人の思考をトレースできるというのは気持ちよいものですね。自分の考えもよらない視点や感情の持ち方が大量に流れ込んできていて、溺れるように泳いでいます。
遊泳の名に相応しいな。
だけどひとつひとつが高密度かつ圧倒的質量をもっているのであまり早くは泳げなくて、息継ぎをしながらゆっくり、ゆっくりと。
こんなに素敵な湖はなかなか泳ぐことができないのだから。