遊泳

猫、或いはサイエンス

説明書

テーマが違うのでもう1本。

観察、観測、研究対象としての興味と相互作用したいと感じる興味。
これらは一部重なり合う部分はあれど、質の違う構造をもっていると考えています。

その人自身の思考方式やその結果導き出された結論、或いは人間性について抱く興味は、研究対象としてのそれに近いと思うのです。
「私が→あなたに」興味がある。
面白いアルファツイッタラーの発言をふぁぼったりRTし続けたりする関係性ですね。

一方、相互作用を求めるような情動を伴う興味、「私も⇔あなたも」興味があるという状態、相手の意識を獲得したいという意思が生じることがあります。
後者は相互作用することによって何かしらの相加的もしくは相乗的な効果が期待される時に抱く感情のように思います。
恋愛や友情は恐らくこちらに分類されるかと思います。
相互フォロワになって楽しく会話したい、相手にも何かしらの興味を与えたい、みたいなことかな。

Twitterをそれなりに長く続けているとこの「後者の興味」を買うことがあるかと思います。
具体的に言えばふぁぼ爆を受ける、エアリプやリプライでそれとなく(或いはダイレクトに)好きだと言われる、DMで褒めてきたりデートに誘ったりする、またはこれらの複合的な組み合わせ。

これ、飽くまでもスタートラインなんじゃないかなと私は思うわけです。
ようやく相手に認識される段階に至った。じゃあ次はどうする?って。
その「どうする」の手法にこそ「その人らしさ」が見えてくるし、その部分に興味を抱き返して貰えないのならやり方やConformationを変えてアプローチしたり自分を見せていく以外にない。それでもダメならその時は相互作用が起こらないタイプのレセプターだったのだなと諦める以外にないのかなと思うのです。
(これは誰か特定の人物に向けての話題ではなく、自身を含めた一般的事項を想定しています、念のため)

勿論、一途さが重要な位置付けにある人もいるでしょう。ほだされて相互作用することもあるかもしれません。そのことを否定するものではありません。
ただ私は相手への真摯な礼儀として、「工夫を凝らして気持ちを伝える努力と知性」に対して敬意を払いたいし、自分でもそのようなスタンスでありたいなと思っています。


そうして獲得してきた幾つかの相互作用することができた関係性は、とても得難く貴重な存在として、大切に、大切に保ち続けていきたい。保ち続ける努力を怠らないでいたい。
そんな風に思うのです。