日記を書ける気分ではないのだけれど、いつか振り返ったときにこの日だったということを忘れないよう記録をしておくことにしましょうか。
決定的に何かが損なわれるということについて考えている。
越えてしまった分水嶺、盆に還らない覆水。
感情が滝のように流れだし、枯渇した水源が満たされることはもうないのだろうなという、それは予感ではなく確信だった。
「失いたくない」ではなく、「喪ってしまったのだな」という手応え。
怒りや激情などは欠片もない。
そこにあるのはただ静かな自省と、諦観だけ。
諦観。
便利な言葉だな。
また私は言葉に規定される。
そしてそれはただひとつの救いとなるでしょう。