遊泳

猫、或いはサイエンス

short circuit

ツイートしながら幾つか興味深いテーマが浮かんだのだけれど、微熱と頭痛のせいか明瞭に纏まらないので今日は言及しないでおこうと考えてる。
恋愛のありかたとか、昔よく瀧岡さんと語ったよなあ、とか思い出した。なんであんな出落ちコンテンツみたいな扱いされるようになってしまったんだろうなあ、彼。まあそれをむしろたのしむような人だったけれど。繊細なところもあるので今でも時々心配になるのです。
明け方の空気が今でも幾ばくか好ましく特別に感じられるのは、Twitterをとても愉しく感じられたあの頃の感触の名残なのだと思ってる。

「教師というものは永遠に卒業できない亡霊みたいなものじゃないか」
はちみつとクローバーの修ちゃん先生の言葉だけれど、時々自分はTwitterの亡霊なんじゃないかと思う。
親しい人達が居なくなるのをただ見送るだけの装置でいるような思いがずっとある。
私はいつ卒業しようか。
誰の中にも何も残さずフェードアウトできたならそれがよいなあ。

浅い眠りのなかで示唆された自分の奥深くに残された感情については考え続けなければならない。
新緑の知らない街を歩く夢を見てた。
寝ているうちに夕暮れも去ってしまっていたのです。

真夜中の黒いねこさんは帰省してお祖父様と将棋でも指しているところなのではないか、でも地震で大変だったろうしなあ、などとぼんやり考えてしまう。朧気夢うつつ。

思考が散逸しているにゃあ

驚くほど無生産ないちにちを過ごしてしまいました。
ショートしてるのかなあと思います。