遊泳

猫、或いはサイエンス

投影

今夜は月と木星の並びがあまりにも美しく、何度も足を止め、夜空を見上げました。
天頂付近には火星が赤々と君臨していて、大好きな高村光太郎の「火星が出てゐる」が口をついて出てきます。

「待つがいい、さうして第一の力を以って、
そんな問に急ぐお前の弱さを滅ぼすがいい
予約された結果を思ふのは卑しい
正しい原因にのみ生きる事
それのみが浄い」(高村光太郎『火星が出てゐる』より)

電車の中で青色本を読んでいたらいつの間にか寝落ちてしまい、時々身体が傾いではっと戻るを繰り返していることに自分で気づいているのだけれど覚醒できないという浮游感覚を味わっていました。お隣の方に当たっていなかったでしょうか、すみません・・・

私の身の回りに起こるトラブルのうち、体感として3割くらいは「妥協に拠る」ことに気づきました。
あと一歩の詰めの甘さよ。
もしかしたら完璧な手順を踏めばそもそも問題すら起こらないかもしれない。
「まあいっか」と見切りをつけたことは何故かトラブルを連れてくるのです。
これはひとえに判断力のなさに起因するのですが、ではなぜ判断力がないのかと言えば知識や技術が足りていないからに他ならず、つまりはドミノ倒しの如くパタパタと倒れる元凶は積み重ねていくべき努力の足りなさにあることが判ってしまった。
判りたくなどなかった・・・

でも積み重ねたものが崩れたらまた積み重ねてゆくしかない。折れる訳にはいかないんだよ。




書きたいことがあるのだけれど、あまりにも個人へのメッセージ性が高すぎて躊躇します。
ドメスティックな感情を書き殴るための日記であるというのに公開している以上はやはり社会性をもつのだな。
もういい加減に直接話せばよいのではないかな、という気持ちもあります。(お寿司、お寿司さえあればきっと・・・!)

一方的に感じているこのシンパシーは自己の投影によるものなのだなと気づきました。
共通する躓きや問題意識に対してゴリゴリ解決に向かう閃きを提案されるのは気持ちがよいのですよ。
まるで私自身が解決したかのように置換してしまう。
そしてご自身の在り方を憂いていても、根底にある自分への愛情は決して手放さないその強さに似た何かを魅力的だと感じるのでしょう。
以前にも少し触れたけれど、(ご自分ではおもちではないと仰っていたけれど)おそらく共感覚のようなものを「相手に起こさせる力」はお持ちなのではないかと思いますね。
躊躇とかいって結局書いてしまうのね。しまうのよ。

ようやく週末。こころとからだをやすめましょうね。