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遊泳

猫、或いはサイエンス

私の夜の小さな音楽

久しぶりに書いては消してを繰り返してしまっています。考えていることを心の奥から言葉で取り出すことがうまくできずにいるみたい。感覚が感覚のままで心にこびりついている。

中高生の頃の私は所謂天文少女で、父に頼み込んで買ってもらった(今は無き)ペンタックスの口径60mm光学式望遠鏡を担いでベランダ伝いに屋根に登り、三脚を組み立てて設置しては夜空を眺めていたのでした。
今でもそうですが当時から星座や神話にはさほど興味がなく、安価で観測可能な天体数も限られていたその望遠鏡から覗くことができる小さな宇宙と小さな夜を、心から愛していたのでした。
赤道儀がないため、月の動きを手動で追うのですよ。微動ハンドルでじわじわ・・・って。なんて愛しいめんどくささ。

天文ガイドの末尾ページには読者の写真投稿ページがあり、星雲や彗星や惑星の美しい写真が軒を連ねています。
その中のひとつに、今でも心に強く残っている1枚があります。
「富士山の河口から見上げた星空」
天の川銀河と砕けた宝石を思わせる星空が、円く切り取られた暗闇から蒼く光っていて。
いつかそんな景色を私も眺めてみたい。憧憬を抱き続けているのです。




何に感応し、何をこの世界から取り分けるかは受動的な結果ではなく、変化への予兆と準備が為された上での主体的な出来事なのかもしれない、なんてことを考えてみてる。
全ての出逢いに何かしらの意味と人生への影響力は含まれているけれど、そこに意味付けするのは常に自分であるということ。