遊泳

猫、或いはサイエンス

記憶の改竄

今日は2016年6月16日で、20160616という数値がちょっと面白いなと考えていました。1と6多すぎ。しかし並びが対称ではないため、個人的には若干のもにょりが残ります。
次に日付が対称となるのはおそらく20200202(2020年2月2日)そう遠くない未来ですね。
ちなみに秒まで考慮すると2020年01月10日02時02分が次の対称日時になると思われ。
その時は祭り立てましょうぞ。



先日診察して貰った循環器内科の先生に心臓の期外収縮が出ているという指摘を受けたため、今日の午後からポータブルタイプのホルター心電図と簡易血圧測定器を身につけています。24時間モニターするのだ。
コードが上半身を這っており、腰のあたりになかなか存在感のある測定器を2台装着し、腕には腕章みたいなものを巻いている状況です。
これがなかなか奇異なスタイルに映るようで、すれ違う人たちにちらりと目線を寄越されるのがちょっと面白かったです。堂々と歩いていたから映画の撮影か何かと思われたのかな。隠すよりは見せた方が恥ずかしくないと考えてのことだったので、いい具合に他人に非日常感を提供できたのではないかと思います。
血圧測定器は夜の9時台までは30分に1回、自動的にカフが膨らんで血圧測定してくれるのですが、いやはや。30分、あっという間にやってきますね。
ちょっとぼんやりしてたら「えっもう測定ですか?!」ってなります。これはぼんやり生きないためのよい啓蒙装置として機能してくれる気がする。ライフハック





人は記憶を起こった事実そのままに留めておくことができない事が多いけれど、もしかしたらそれはとても優れた性質なのかもしれないというようなことを考えていました。
つらいことや痛み、苦しさを忘れたり軽い感覚へと改変できなかったとしたら人生はきっともっと苦しい。
ただ解せないのは、時が経つほどにそれらの感覚や感情が増強される場合もあるということです。人生もっとラクに生きられたらいいのに。



私は自分の興味がそそられない事実に対して記憶しておくスペックを用意できない人間だなとつくづく感じます。
その代わり強い興味を傾注する物事に対しては、例えば誰かの表情や言葉の言い回しやその場の景色まで鮮やかに思い出せるのです。不思議だなあ。



ただしそれらについての記憶が本当に改変されていないのか、についてはあまり自信がありません。だって他の記憶についてがあまりにもクズすぎる。
自分を信じるよりは疑う方が効率がよさそうです。
でも嘘をついている訳ではないのですよね。
「それが自分にとっての事実」として記憶を改竄されているだけなのだ。



現実に起こっていることと脳内で考えただけの出来事が、発生時点から遠ざかるにつれて混ざりあい、ふたつの境界が曖昧になる。その境界を取り出して事実であったということは嘘をつくこととイコールではないけれど、記憶に嘘をつかれているとは言えるかもしれないですね。