「丁寧に生きるということ」
今はなきblogサイト、プレイログで、2009年の或る日に書いた記事のタイトルを今でも覚えています。
「丁寧に生きるということ」
今でもTwitterでよく会話する次男さん(敢えて当時の名前で呼びましょう)のblog記事に触発されて書いた記事でした。
休日にベッドのマットレスを上げて、床の下を掃除するという次男さんの生き方に「よいな」と感銘を受けて、私も丁寧に生きてゆきたいなと思ったのでした。
たとえば
豆を挽いて珈琲をドリップすること。
カーテンを時々洗うこと。
気に入った道具を吟味して購入すること。
それらをきちんと使い込むこと。
生活を規則正しくすること。
一回ごとの食事を大切にすること・・・
挙げ始めるとキリがないけれど、そんな風に、私の生活は端と端をきちんと合わせて畳まれた折り紙のように、
少しずつ整えられていったのでした。
これらに共通点がひとつあるとすればそれは、
「自分自身が快適であると感じること」
なのかなと思います。
誰かのためにではなく、自分のために、自分がよいと思える生き方をしたい。
未だ模索している最中ですが、そしてこの模索はきっと一生続くのでしょうけれども、「そういう風に生きること」を選択し続けたい。
あの日からの密かな誓いなのでした。
日常のささやかな気づきに幸せを覚えることも、自分が自分のために作り出したような丁寧で優しい時間に満たされることも、同じくらいに素敵なことだなあ
— なつき㌠ (@natsukissweet) 2016年6月22日