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猫、或いはサイエンス

「丁寧に生きるということ」

今はなきblogサイト、プレイログで、2009年の或る日に書いた記事のタイトルを今でも覚えています。

「丁寧に生きるということ」

今でもTwitterでよく会話する次男さん(敢えて当時の名前で呼びましょう)のblog記事に触発されて書いた記事でした。
休日にベッドのマットレスを上げて、床の下を掃除するという次男さんの生き方に「よいな」と感銘を受けて、私も丁寧に生きてゆきたいなと思ったのでした。

たとえば
豆を挽いて珈琲をドリップすること。
カーテンを時々洗うこと。
気に入った道具を吟味して購入すること。
それらをきちんと使い込むこと。
生活を規則正しくすること。
一回ごとの食事を大切にすること・・・

挙げ始めるとキリがないけれど、そんな風に、私の生活は端と端をきちんと合わせて畳まれた折り紙のように、
少しずつ整えられていったのでした。

これらに共通点がひとつあるとすればそれは、
「自分自身が快適であると感じること」
なのかなと思います。

誰かのためにではなく、自分のために、自分がよいと思える生き方をしたい。
未だ模索している最中ですが、そしてこの模索はきっと一生続くのでしょうけれども、「そういう風に生きること」を選択し続けたい。
あの日からの密かな誓いなのでした。