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遊泳

猫、或いはサイエンス

闇質的認識

魅力的なものに近づくのがこわい。
そんな気持ちはありませんか。

私はこわい。
感情の渦が巻き起こり自分の心をニュートラルに保つためにエネルギーを費やさなければならないことがこわい。
浮き沈みの振幅が激しくなり自分の心なのに他者に操られているかのように舵を切れなくなるのがこわい。

自ずから覚悟を決めて手に入れにゆく欲は自覚的であれるけれど、「気がついたらそれは欲だった」というのは私にとってとても恥ずかしく思える行為の1つなのです。
日々、それと闘っているようなものなのですけれども。


古代インドの哲学詩『バガヴァド・ギーター』の話題が、井筒俊彦氏の『意識と本質』に出てきます。
実在認識の様式のひとつ、「原質」に内在する存在展開的エネルギーは以下の三段階に分けられるといいます。


第一に(あらゆる経験的事物のうちに、唯一なる不易不変の実在を見、分節された[すべての]もののうちに無分節の実在を見る)「純質的」認識、

第二に(あらゆる経験的事物のうちに、個々別々なさまざまなものを、個々別々に識別する)「激質的」認識、

第三に(ある一つの対象に、まるでそれがすべてであるかのごとく、ただわけもなく、実在の真相を忘れて執着する狭隘な)「闇質的」認識
(頁122より一部引用)



本書ではこの三相はふだんは均衡を保っているが、ある時それが破られるとあります。
私はまさにこの、第三のフェイズ「闇質的認識」が占める割合が多く、三相の均衡が破られているのではないか。そのように感じました。

特に好奇心という欲が私の中のcollector気質を呼び覚まし、網羅的に情報収集しなければ気がすまなくなる。これはまさに「執着」と呼ばれる行為ですよね。
この気質傾向は仕事などで巧くマッチングすればそれなりにお役だちですが、人生を生きるには少し重たすぎる荷物です。いつまでも充たされないのですよ。厭きてしまうまで。
という訳で、冒頭の言葉に戻るのです。
私は「魅力的なものに近づくのがこわい」
執着が、何よりこわい。

自覚的であり、コントロールしたいのです。しかしそれは本当に難しいことですね。


彼はたいそうな虫好きらしく、売るのとは関係なく見つけたら嬉しいとも言っていました。
子供たちに夢を売る副業でもありますね。
ちょっと面白かったです。

梅雨があけました。
世界がキラキラと輝いてみえる夏がくるよ。

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