遊泳

猫、或いはサイエンス

微睡みの終着点(覚醒)

残夏。
激しい雨の音で目が覚めました。
駆け抜けるように去っていったようだけれど、夏のスコールのような雨は好き。叩きつけられてたい。

先週末は高エネ研(KEK:高エネルギー加速器研究機構)の一般公開のためつくばへ(加速器好きにとっては聖地巡礼)。
今回は早起きできなかったので講演会は逃してしまいましたが広大な敷地内をほぼバスを使わず歩いて回れたことと、PF(フォトンファクトリー)の猫先生にお逢いできたことがとても楽しかった。
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PFでI先生をご紹介頂いたのだけれど、その際「グッズは(施設の立場上)儲けを出すことができないんです」というお話を聞き「ああ、じゃあ猫先生Tシャツが売れ残ると痛いわけですね、完売しそうでよかったですねえ」などという会話をしました。厳しいものだ。


自己の存在、量子重ね合わせのようなものだなと思ったのでした。
回転するコインの裏表は回転が止まるまでその性質が確定しないけれど、私という人間は回転を続け、確定することがない。
幾つもの解釈が同時に存在し、且つ、そのどれもが正解でない。
なんて不確かで矛盾した存在なのだろう。


夢をみたのです。
建設中の6階建くらいのビルの屋上。捻れた鉄骨が鳩よけのように突き出しているその場所に私は居たのでした。エレベータもなく、どうやって登ったのかよくわからない。
唐突に「私は死んでいるんだな」ということに気づきました。そして今の自分が既に概念であると理解したのです。
夢はそこで覚めたけれど、あの一瞬の感覚は掌に掴んだかのように実感として残っています。
私の身体はもう残像に過ぎないのかもしれない。
だとしたら面白いのだけれど。

そのあと微睡みの中で見たもうひとつの夢がまた印象的だったのでここに残しておきたいと感じました。

Twitterには詳しく書かなかったけれどイモリは緑色に光り、出てきた糞まで鮮やかな緑色で、夢の中で「GFPかよ」ってセルフツッコミ。
それから太陽はこの世のものとは思えないほど大きかった。実は私の夢ではちょいちょいこの巨大な太陽というモチーフが散見されます。解釈が難しいのだけれど。
とはいえこの夢、初恋のように淡く甘く優しく切なかった。
目覚めたあとに「あの夢の続きを見せて」と願うような夢はいいですね。

微睡みは終着点を迎えました。
そろそろ覚醒しかけている感覚があります。
夢はもう見ないですよ。