遊泳

猫、或いはサイエンス

焦点距離

雨ゆえに遮断される感覚と、雨だから増幅される感覚があるなと思う。
例えば湿気を含んだ空気は遠くの音をよく伝えるけれど、雨が降り始めるとそれらはかきけされてしまうな、とか。
舗装道路のみずたまりを飛び越して初めて、地表の歪みに気がついたり。
自分の身体機能の幾つかが拡張され、または閉塞することを考え、選り分けながら歩くのです。

the HIATUSのNew albumに収録されている『Clone』という曲を聴きました。
歌詞に出てくるcloneの正体が何であるのかは明かされていない。自分とよく似た誰かの話なのかもしれない。違うかもしれない。
私は、私と鏡写しのような私自身についてなのではないかと思ったのです。
君とは即ち、自分自身を想定して以降の言葉を紡いだ。
でも自分とよく似た何かもまた、「君」であるのかもしれない。


時間が経ってしまったけれど、深井さんのblogを読んで思ったことを書くタイミングを逃してしまっていた。
何度か読み返してみて、それから自分の書いた言葉も見返してみて、改めてうん、そうだなあと納得した。自分のために生きることと他者のために生きること、その2つに厳密な境界を引くことは難しい。双方ともに主体的なエゴイズムは関与するし、その質に差異はないなと。うーむ。
もっと遠くまで視えるようになりたいな。



ないものを在るようにしてはならない。
ないものは、ない。
それを基準においてすすみましょう。

強さなんてよくわからないけど、あなたが私を強いといってくれるのなら、それでいいのです。
ありがとう。