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雨。
2日連続で激しい雨音を聴きながらぼんやりとしています。
野矢茂樹先生の『幸福な人は「必然的に」幸福なのである』、よい言葉だな。
— なつき㌠ (@natsukissweet) 2016年10月6日
どのように世界を感じとるかは主体次第であるならば、主体としての「私」も「必然的に幸福」でありたい。
— なつき㌠ (@natsukissweet) 2016年10月6日
つらさも幸福も実は同質なのではないか、と考えている。
— なつき㌠ (@natsukissweet) 2016年10月7日
何度かここでもTwitterでもこの事について言及しているように思うけれど、つらさを分解していくとただの要素になってゆくと思うのです。
感情から理論への相転移が起きる。そしてこれは可逆性をもつ。
幸福も、おそらく同じなのではないかなあ。
受動的な幸福と能動的な幸福との間に大きな違いはないけれど、後者のようになんらかの出来事に対して積極的に幸福を見出だしてゆくことは自分次第で可能だと思うのですよね。
文脈の取り方次第で結末は変わる。
そういった意味で、つらさもまた同様なのではないか。
そのように考えていたのでした。
期待するから失望する。期待も失望も、相手の中にあるのではない。それらは自分の中にある。故に、引き受けるべきは自分自身である、ということを思う。
— なつき㌠ (@natsukissweet) 2016年10月7日
これはあまりにも強い言葉だから敢えて説明はしないけれど、自戒の念として残しておきたい。
私がたとえ誰かに期待し、そして失望したとしても、相手を責めることなく現状を受け入れ、自分の側を改変していきたい。
道を歩いていてふと見上げた一軒家の二階の窓の網戸に大きなトンボが留まってた。面白いな。視界の片隅にも引っ掛かっていなかったはずなのにそういう不思議な偶然に出逢うことって結構あるよな、と思う。もしかしたら「ふと目をやる」その先には常に何かがあるのかもしれない。見えなかったとしても。
— なつき㌠ (@natsukissweet) 2016年10月8日
これは非常に面白いと感じた出来事でした。
意識の外から入力される情報は、五感以外の由来もあることを思わせるような。
何かを「ふと」気づくような時はもう少し意識を研ぎ澄ませてみたいな。もっと何かが見えるようになるかもしれない。
@note blogを読みに来てくれるというのは流れゆくTwitterの一部であるよりも踏み込んだ行為だと思うし、私という人間をより深く知りたいと思ってくれるのならそれはとても嬉しいことだなあ。
— なつき㌠ (@natsukissweet) 2016年10月8日
@note 私がblogの更新を告知しない理由のひとつは、社会的関係性からのふぁぼは不要であると考えているからで、本当に興味をもってくれているひとだけ、もうワンアクション踏み込んできてくれるのならそれで充分だという思いからきている。
— なつき㌠ (@natsukissweet) 2016年10月8日
@note 結果的にその行為がふるいにかけることになるかもしれないけれど、読みにくるこないで相手を選別するような真似はしたくないな。それは「ただそういうものだ」ということ。どちらの関係性に優劣があるという話では、ない。
— なつき㌠ (@natsukissweet) 2016年10月8日
相手のバックグラウンドを知ることの最も大きなメリットのひとつは相手の考え方をそこに見いだし、自分の考え方との差異を測るための近道となりうることだと思うのだけれど、共有することを放棄してただのコレクターになるのは自己満足でしかないのだよな、と考えていた。
— なつき㌠ (@natsukissweet) 2016年10月8日
相手の好きなものをどんなにたくさん知っていたところで、集めたデータからストーリーを描いて活かさなければ自分の内側に歪んだもうひとりの自分を作るだけになるような気がして。うまく前に進めるだろうか。
— なつき㌠ (@natsukissweet) 2016年10月8日
コミュニケーションにあまり自信がない人間なので取得した情報を活かしてcommitすることに苦手意識があります。
安心して話せる相手としか話すことができていない(仕事は勿論別ですが)。
結果的に自分の中に「相手の像」を結ぶことで、理解したと納得してしまう。
そんなもの、自己を投影した傀儡に過ぎないのではないか。歪んだもうひとつの自分でしかないのではないか。
いや、どんなに深い会話を重ねたところで像は像でしかないのはわかっているのだけれど、像の手触りにリアリティがほしい。ただその衝動だけを抱えているのかもしれません。
いやはや、全く困った独り相撲だ。
どうして星を眺めているだけで満たされていられないのか。
「本当の自分なんてない」のと同様にきっと「本当のあなた、本当のきみ」もいない筈なのに。
私はいったい何を知りたいのだろう。
ね。