遊泳

猫、或いはサイエンス

人工輪廻

今月に入って時間外労働時間が多く、しかも今週は飲み会と懇親会が予定されているため、ここはひとつ体力を温存するつもりで早めに帰宅することにしました。一時間くらいだけど。しかしこの一時間は大きい。無駄にしないようテキパキ動こう。
帰宅の電車も座りたいなと思い指定席特急、しかも運転席のすぐうしろをとったのですが、しゃっとブラインド閉められてしまった・・・うう。そんなに運転手さんガン見してたかしら私。
電車は夜の中を走る。
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時々この2つを混同している人がいて困惑するのです。
例えばTwitterでとても魅力的なアカウントをフォローし、相手からもリフォローしてもらえたとします。しかし暫く立ってリムーブされてしまった場合、自分もリムーブしてしまうといったケース。
或いは恋愛関係において「もう好きではないのだけれど、独りでいるのが寂しいから別れない」というケース。
どちらも興味が「その人」から「その人との関係性」に移行してしまっている。

興味を抱くとき、自分の感情が「どこに」置かれているのかという意識は常にもっておきたい。
そこに「私が本当は何を求めているのか」が現れる気がしてる。


石黒先生の本にも出てきていたけれど、アンドロイドが故人の姿かたちを引き継いで存在し続ける未来というのは近い将来、本当にあるだろうなという気がしている。
人工知能が故人の思考を受け継いで生き続ける形の輪廻。
もし私という人間の思考を完全再現できる人工知能に私とそっくりな肉体を与えられたのなら、「他者から見た人工の私」は永遠の生を観察されるのだろう。そう考えると、「今生きているこの私」は「私自身の意識」にとっては価値があるかもしれないけれど、他者からみた私が「私にそっくりな人工知能」であっても世界は全く変化がないだろう。
生命とはなんだ。

と、ここまで書いておいて朝になりました。
夜明け前、まだ高く残る月は明るい。
この意識とこの身体をもって、今日という今を精一杯生きましょうか。
行ってきます。