遊泳

猫、或いはサイエンス

So far, so good.

遠くまで飛んでみたいと思いながら過去に翼を探していた。




自分の内部から出てきた言葉でさえ、意味を見失うことはあるけれど、これについてはよく覚えている。変化という現象に生か、それに類似するものを見いだしていた。

私も「いつか思い出すためのトリガーにする」などと言いながらも自分の文章を読み返したことは殆どなく、もしかしたら今書いているこれも、既に何千回も言及してきたことだったりするかもしれない。
忘れるという自衛手段に長けている。


静寂な狭い部屋で壁に向かって吐かれる寝息はこだまして部屋の逆側からも聴こえてくる。
簡易サラウンドシステム。ひとつの愛も同時に2方向から囁かれれば効果は2倍になるだろうか。

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過剰

時間の針で出来事を縫い合わせてほどけないよう日々を織り成している。

今日最も大きく記憶スペースを占めているのは激しく降りしきる雨について。
それから世間にはクリーニングのプリベイドカードに一万円もチャージする人達がいるということへの驚き。よいコートはメインテナンスにもお金がかかる。購入した時の価格が全てではなく、ランニングコストも考慮して購入すべきなのだな、というようなことを考えていた。

自分は感情の動きを表現するのが苦手だということにふと気づく。ヒトの感情の機敏を読み取るのがそもそも苦手な人間なのに、自分のそれが得意だなんてあり得る訳がない。「何が食べたい?」と訊かれても答えられないくらいなのに。
過剰でない程度の欲をもつことは周囲と会話をするため浮かないための最小限の装備であるような気がしていた。現実の私は極端にぶれる傾向があり、過剰な好きと無関心の仕分け作業をしながら生きてきたように思う。「ほどほど」がよくわからないんだ。
過剰がこの身を助け、この身を挫く。

興味があるふりをするということが相手にとっての嘘になるだなんて、かつては考えつきもしなかった。それを優しさであるとどこかで思っていた。
いまはもう少し、正直に生きてる。


未だ雨が降り続いてる。
土を叩き、アスファルトを滲ませながら音を奪い、空気を丸くして。
雨はいいね。激しいほどに好ましい。

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支点

夜が近い。

リアリティとファンタジィが混在する夢を見た。

私はヴィレッジ・ヴァンガードにアイロンをかけたような本屋の最上5階に住んでいて、4階は駅のホーム。至るところにPOPが散らかる雑貨を眺めながら長い階段を昇りながら部屋を目指す。
いつの間にか、外。
小高い丘の上から盆地のような大きな窪みを眺めている。中央部には大きな桜の老木が生えており、満開少し過ぎたくらいの見事な花が咲いている。距離は遠かったが、はらはらと舞い散る花弁は一枚一枚がはっきり見てとれた。
突然、下からのライトアップ。
じわじわと上方に向かって照射する強い明かり。
そして3D映像だろう、小さな子供と思われるシルエットが大量に下から打ち上げられ、重力に抗えずに弧を描きながら落ちてゆく。
悪趣味な演出だな、と私は目をそらし、夜の街を歩き始めた。
その光景は少しだけ、ルネ・マグリットの描く画と似ていたようにも思う。私がまだあまり理解することができない、シュルレアリスム

道端には赤いランドセルが落ちている。覗き込むと、中にはケースに容れられたままの短めの粘着テープが数本入っていた。
児童が使いそうな布製のペンケースが木の根元に隠されていて、不穏な予感と滑稽さが同居する胡散臭さがそこには感じられた。


捻りのないツイートしてしまったなと思うときほど比較的多くリツイートされる事があり釈然としないのだけれど、世間が価値を置く部分について自分が如何に理解していないかということの証左なのだと思う。学びがあるな。私はどちらも知りたいんだ。マジョリティとマイノリティの均衡点みたいなものが見えたらもう少しうまくやれる気がする。
どちらに揺れるも自由な支点に立つシーソーのようにね。

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どうしようもなく眠たくて、電車の中でくたくたりと寝てしまっていた。
せっかちな気性の人と少し長く会話しなければならない機会があり、疲れてしまったのかもしれない。

自分のペースを守ること、伝えなければならない内容を簡略化せず/されずに伝えること、結論を急がないこと、一方的に決めつけず/決めつけられずきちんとした議論にもってゆくこと。せっかちな気性の人とこれらを踏まえて会話することが私はちょっと苦手みたいだ。でも、今日はよくできたと思う。

コミュニケーションをとるのがうまくなれればよいなと思うけれど、巧くなれなかったとしても、それはそれで構わないなと思う。
一つ一つの関係性を誠実なものにしていくだけでも充分なのかもしれないと、ふと思ったんだ。
それならば今のままの私にでも積み重ねてゆくことができそうな気がする。


今朝は毎年ツバメが営巣する軒先から、ジュルジュルピチピチとした声が聴こえてきた。直線と曲線を華麗に使い分ける美しい飛行形態のあの鳥が舞う季節がきたのだな。お帰りなさい、どんな旅をしてきたの?話を聞いてみたいよな。

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手応え

雑踏の模倣をしたことがある。
学生時代、芝居の稽古で。
テレビドラマで時々出てくるカフェなんかで役者たちの背景にいる人達が繰り出すような、雑多な会話の再現。
人混みの中にいると時々その時のことを思い出す。難しいんですよ、わざとらしくなく作られた会話するの。

声質以外にも、人の会話には数多くの特徴がある。
話すペース、トーン、抑揚、感情表現、滑舌、性別、年齢等々。1つの発話の中にそういった要素が同時に盛り込まれてざわめきをつくる。

雑踏は面白い。情報過多なので適宜チューニングしながら聞き分けるけれど、全く違う人達の会話が妙なところで結びついて笑いだしそうになったりもする。「もしもし?ご案内致します、昨日バイト先の先輩がさ、味つけはやっぱり味覇だなって」
わざと文脈を壊した小説、あれ何ていったかな。そんな世界がそこらじゅうに落ちている。
「私がそこに意味を見出だす」
同時に私も意味の一部になる。


夢の中で読んでいた本の続きを読んでみたいけど、いつも目が覚めるとすぐに内容を忘れてしまう。今日は古民家の歴史かなにかの本を読んでいた。ささやかな日常や誰かとの会話などと同じように、残るのは面白かったなという手応えだけなんだ。

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