遊泳

猫、或いはサイエンス

過剰

時間の針で出来事を縫い合わせてほどけないよう日々を織り成している。

今日最も大きく記憶スペースを占めているのは激しく降りしきる雨について。
それから世間にはクリーニングのプリベイドカードに一万円もチャージする人達がいるということへの驚き。よいコートはメインテナンスにもお金がかかる。購入した時の価格が全てではなく、ランニングコストも考慮して購入すべきなのだな、というようなことを考えていた。

自分は感情の動きを表現するのが苦手だということにふと気づく。ヒトの感情の機敏を読み取るのがそもそも苦手な人間なのに、自分のそれが得意だなんてあり得る訳がない。「何が食べたい?」と訊かれても答えられないくらいなのに。
過剰でない程度の欲をもつことは周囲と会話をするため浮かないための最小限の装備であるような気がしていた。現実の私は極端にぶれる傾向があり、過剰な好きと無関心の仕分け作業をしながら生きてきたように思う。「ほどほど」がよくわからないんだ。
過剰がこの身を助け、この身を挫く。

興味があるふりをするということが相手にとっての嘘になるだなんて、かつては考えつきもしなかった。それを優しさであるとどこかで思っていた。
いまはもう少し、正直に生きてる。


未だ雨が降り続いてる。
土を叩き、アスファルトを滲ませながら音を奪い、空気を丸くして。
雨はいいね。激しいほどに好ましい。