遊泳

猫、或いはサイエンス

灯火

昨日は頭痛と胃痛に悩まされ、何とか帰宅をしたものの殆どごはんを食べずにいつもより早めに寝てしまいました。
頭痛の方は薬で軽快したのですが胃痛はどうにもならず。カブトムシの幼虫のように丸まって眠りました。痛いのは嫌ですね。
幸い今朝は元気に起きられたのでよかったです。

カブトムシの話題が出たのでふと思い出しました。
小学生の頃はカブトムシが大好きで毎年飼っていたのでした。
艶やかで丸みのあるフォルム、羽が閉じる辺りのちょっとした隆起、光に反射してきらきらする細かい産毛、腕の皮膚をがっしりと掴み登ってくる趾の細さ。顔を近づけるとほんのりと木の蜜のようなおがくずのような香りがして、それもなんだか好きでした。
唯一お腹は苦手だったのですけれど。いかにもな虫っぽさ。
クワガタと違い、カブトムシの成虫は越冬できないので秋が近づいてくると哀しくて寂しくて。

私の母は物に執着心がない(信じられない程の捨て魔です。望遠鏡まで捨てられたのには驚きました)割に生き物の命の灯火が消えるのは苦手だったようで「死んでしまう前に森に帰してあげなさい」と、手放すように毎年指示されたのでした。
今から思うとこのスタンスは親としてどうなんだろうと疑問に感じます。最期まで見届けるべきだったんじゃないかなあと、大人になった私は感じてしまいます。カブトムシだってぬくぬくしていて餌に困らない環境からいきなり野生に戻れと言われても困ってしまうだろうになあ。

とはいえ飼っていた猫たちについては何処かへ消えてしまわない限り、最期まで看取る家でもありました。
膝の上で少しずつ弱っていく猫を徹夜して撫でて暖めてあげた夜のことを思い出します。
幾つもの命が産まれて、そして消えていった生家の思い出。どんなときでもそばに猫がいたこと。



猿楽珈琲さん、移転してしまっていたとは知らなかった。
薄暗くて狭くて沢山の時計がカチカチと時を刻むあの独特の雰囲気は他にはちょっとないような居心地のよさがあったのでした。
横浜市営地下鉄弘明寺駅か。ふらりと訪れるにはちょっと遠いなあ。横浜に遊びに行く際にちょっぴり足を延ばしてみましょうか。