far afield
@null 身体を憑坐のように扱い、眠りのフェイズを引き下ろす役者になる 何にでもなれる 何でも入れ込める
— なつき㌠ (@natsukissweet) 2016年6月26日
眠れないときは眠りの演技をすればよいのではないかとふと思いました。
時々、自分の中身を空っぽにして、違う人生を生きたいと願う。
今の自分はキライじゃないし色々あったわりには充分に満足できる人生を(今のところは)送れてきているとは思うけれど。
それは、あてもなく「遠くへゆきたい」そう願う心とどこかしら通低するように思う。
遠くへゆきたいだけなのかもしれない。
縛られるとはどういうことだろう。そんなことを考えていました。
自由を制限するもの。
関係を結びつけるもの。
場に留めるもの。
目には見えない関係性や、金銭などの制約や、(不自由ながらも魂を閉じ込める器としての)この身体など。
縛られていなければ上手く生きることができないくせに、解放されることを望んだりもする。
解放されたとしても、また別のなにかに縛られるのでしょうね。私はきっと、性懲りもなく。
遠くへ。どこか、遠くへ。
比較的タイトなスケジュールの波にride onして泳ぎきったので身体は重く泥の中を歩くような感覚です。
対時間へのコストパフォーマンスもう少し上げたい・・・と考えかけていやいやいや、と思い直しました。
私は時間短縮のための工夫は得意だけれど代わりに精度が落ちるタイプの人間なので、変わろうと心に誓ったのでした。すぐに忘れそうになるな。
時間がかかってもよいのでていねいに、ていねいに、確実に。
美しい仕事をするのです。