遊泳

猫、或いはサイエンス

woolgather

kentzさんのblogが自由な感じで面白かったので若干触発され、久しぶりにblogを書いています。
正確に言うと「書き始めた」状態であって書き終わりを担保するものではありません。最後までたどり着けるかなー(この2ヶ月間、何度か書いては下書きのまま放置を繰り返していますゆえ)。

勿論内容にも拠るんだけれど、blogはTwitterのような断片的な投稿とはまた違った方向から人となりを表すなあと改めて感じました。
考えの種をどのように育てて刈り取るかをひとつの文章の流れの中で追うことができるお陰で「なぜその結論に至ったのか」を理解しやすい場合が多いからかな。
私のこのblogも同様に、違う方向から照らされたライトのように、私という人間を立体的に浮かび上がらせてくれているだろうか。


先日読み終えた石黒浩先生/池上高志先生の『人間と機械のあいだ 心はどこにあるのか』という本がここ最近読んだ本の中でも格別に面白かったです。
元々は久しぶりにサイエンス方面の本を読みたいと考えて購入したのだけれど、予測以上に哲学的エッセンスに満ちた内容でした。

このエピソードがとても興味深かったです。恐らく人の認知を超えたところには規則性があるのだろうな。 直感というものは、このようにコンピュータが導きだす答えと類似したものではないのだろうかなどと考えていました。法則性を見出だすことをショートカットし、結果のみを連れてくるようなイメージ。

最後の章で池上先生が仰っていた「生命の複雑さとはattracting stateではなく、有限な時間の中で、開かれた状態空間の中に生まれる流れの澱」(要約、p146)という概念、生命体の制限状態と相互性の上でmatureになってゆく様子を綺麗に言い表した言葉だなと感じました。
人はどうしたってinteractiveな情報のやりとりの中で磨かれていく生き物なのだな。スタンドアロンが叶わぬのならせめて冬の夜空みたいに硬質で透明な光のような情報で磨かれてたいなあ。

実はこの本を読む少し前に、「入力刺激は絶対的に足りないことはわかるけれど、まっさらな人工知能を赤ちゃんのように育てることで人を模倣することは可能なのか」という疑問についてばうむさんと議論したのだけれど、本当にそのようなことを研究している人がいるのだな、と嬉しくなりました。心がどこにあるのかという疑問への答えは簡単にはでないだろうけれど、今後のアンドロイド研究の進捗が益々楽しみになりました。



「リアルなあなた」に逢わなくても、私はあなたの二次元情報のみを組み立てて3D化することが可能である。
妄想は容易い。
妄想は優しい。
妄想は裏切らない。
閉鎖空間での拙い遊び。



おや。今日は最後まで辿り着けたようです。
これからも気楽に参りましょう。ではでは。