遊泳

猫、或いはサイエンス

本質との乖離


言葉が今の私を作ってくれた側面もあるので、暴走してしまった言葉の全てが悪いとは考えていないけれど、過剰に誇張された表現や中身の伴わない口上には、どこかしら後ろめたさや面映ゆさを感じてしまう。
それは自分だけが知っている本当の自分の考えや「程度」というものとの乖離があるからであり、詐称している感覚が拭えないからなのでしょう。

どのようにしたらその「言葉と実動のタイムラグ」を埋めることができるのだろう。
口だけでなく行動を伴わせ続け実績を積み上げて言葉に対する保証を獲得するか、或いは身の丈に合った言葉を厳選抽出して、それのみ口にするといったことでしか罪悪感から逃れる術はないのでしょうか。


ああ、大きめな本屋さんに寄って森田真生さんの数学の本を購入しようと考えていたのですが、残業だったので閉店時間にちょっと間に合わないなあ。
明日探しにゆけたらいいな。

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先日、夕陽が見たくて登ってみた陸橋からの景色。
ギリギリの一瞬。