他愛のない何か。
桜がちらほらと綻びはじめた東京都内。週末までに満開は難しそうだけど、そろそろお花見しながらお散歩できそう。
Twitterに投稿した内容をほぼblogに転載という横着を致します。
まあ深々夜に投稿したし、殆どご覧になっている方はいなかっただろうと予測している。
アルフォンス・ミュシャ、国立新美術館での展示備忘録。
のみこまれてきた。 pic.twitter.com/TZGJRgg3y6
— なつき㌠ (@natsukissweet) 2017年3月24日
帰宅してから三時間ほとかけて作品集を眺めてしまった。キャプションだけでは見えてこなかった作品背景とミュシャの想いが伝わってくる。
@natsukissweet たとえばこの3枚目の写真、後ろの方で教皇を讃えるポーズをとっている男性たちがファシスト式敬礼する姿に似ている、またハーケンクロイツが記されているとされ批判をあびたことから未完のままとなり、ミュシャの生前は1度も公開されなかったという逸話があった。
— なつき㌠ (@natsukissweet) 2017年3月24日
ミュシャはチェコスロバキアを解体した当時のナチスドイツにとらえられ、厳しい尋問を受けたことから死期を早めた可能性が囁かれていることを初めて知った。祖国であるチェコを愛し、平和を想いこの一連のスラヴ叙事詩を描いたという背景があったのだけれど、その愛国心が反乱への感情を煽る可能性があるというドイツの見解からそのような扱いを受けたということだった。
諸外国でアールヌーヴォの旗手として成功を収めたその裏にあった祖国への愛国心、それを生きている間に表現したいという想いがミュシャにはあったという。スラヴ叙事詩の一連の作品モチーフからその事を、私も強く感じさせられた。
スラヴ叙事詩の作品、争いによる嘆きの表現はあれども、おびただしい流血や悲惨な光景は描かれていない。一連の作品は平和への架け橋であって欲しいというミュシャの願いが通底して表現されており、そのような描写になったということだった。
しかしミュシャ、これだけの才能がありながら34歳まで鳴かず飛ばずだったというから驚きがあった。プラハの美術アカデミーを受験するも不合格(18歳)、夜間デッサン講座に通いながら工房で働く(19)、働いていた工房が経営難に陥りクビになる(21)。つらい・・・
その後、雑誌の挿絵など細々と仕事をしつつ生計をたて、34歳にして急遽依頼されて描いた戯曲のポスター。これがミュシャの画家人生の明暗を分ける転機となった。ヴィクトリアン・サルドゥ『ジスモンダ』。
この後6年間に亘り戯曲のポスターを描く機会を与えられ、ミュシャは一躍人気画家となったのだった。
勇気が出ますね。私には何の才能もありませんけれども。いやこれは、ていのよい自己防衛手段としての言い訳か。
そういえば先日見かけた芸人さんの「多くの人は宝くじ売り場に並びさえしない」という内容のインタビュー記事を読んだのでした。
確かに「自分はこれで闘えるかもしれない」という期待と思惑を胸にうっすらと秘めつつも、実際にはあれこれ言い訳を述べて人生の何事かにentryしないこと、よくよく考えたら幾つもあるような気がします。お前の期限切れの宝くじを数えよ。はい。
人生に何かを遺したいわけではないけれど、この世を去るときに「あれはよかった」と思えるものを何か1つくらいは掌に握りしめて旅立ちたいかもしれない。その方が気持ちよく終われそうな気がするんだな。誰の役に立たなくてもいいから、自分の心の役に立ちそうな、他愛のない
何か。
人間関係における相互作用ってある種の縛りに寄与するのだなと感じる。生じた関係性への責任や発生する感情へのケアといった、個人の判断に委ねられる不文律。
— なつき㌠ (@natsukissweet) 2017年3月30日
@note あらかじめ相互関係を結びさえしなければ、「求める意思」ですら容易に手放せるということなのかもしれない。
— なつき㌠ (@natsukissweet) 2017年3月30日